「サイバ−スト−ン死亡記事」

     

 大川 成一君、動脈破裂の「ポックリ病」で死去。享年(50歳+α)。葬儀は本人が
既に「模擬葬儀」で気がすんでいるので省略するとの遺志なので行なわない。
 生前、本人は「ほとんどやりたい事は、成し終えた。子孫がいないのが心残りだが、
人口抑制には協力できた。最後の望みはぼけずにポックリいきたい。そういう意味では
老衰はいやだね。」というのが、口癖だったという。
 本人は「生活設計」の確立が信条なので、生前葬儀契約のリスシステムに後始末
を依頼してあるので、「安心した死顔」だったといわれる。
 1952年7月28日東京に下町の理容店の長男に生まれる。独り身、地元の荒川区
立第五瑞光小学校・第三中学校経て都立足立高校卒業後、都立理容学校に行き
家業の床屋につくも「シャンプ−と性分があっていない」ので転職。バイト後、’74年
特別区(荒川区)に採用され図書館を振り出しに地方公務員の生活に入る。その間、
通信教育で経済学部を学ぶ。そこそこ社会問題に関心を抱いた。
 本人は中学卒の寄せ書きに「凡人」と記入していたが、「広く浅くの移り気な性格」と
共にマラソン完走(記録は度外視していたが)や剣道など意外と硬派の面があった。
 小学校では戦記・歴史・推理に夢中になり、中学校では1年だけ陸上部に入部した。
 高校では「地理歴史部」「社会問題研究会」に入部したという。
 趣味は若いうちは「ハイキング」、社会人になってからは「ヘボ碁と海外旅行」だそう
である。
 自分の性格と限界を自覚していたようで、信条は「人に優しく、自分に優しく」が
偽らざるものだったと親しい友人の道英君には話していた。
 「温和な人だったが、羊の皮を被った羊だったか。」という声もあった。


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