「1988年(昭和63年)、高野山真言宗功徳院(本院は大分県に1677年開創)によって、東京・巣鴨に開設されました。
寺院墓地でありながら、檀家制度を持たず、宗教宗派のちがいや、後継者の有無を問わず、だれでも利用できます。
「独身」「子どもがいない」「夫婦のみの世帯」「無宗教」など、ライフスタイルや宗教観は多様化しています。このような、かつてお墓を持ちづらかった生きかたをされた人にも私たちはしっかり向き合いたいと考え、霊園開設当初より「いま、生きている人」が安心できるお墓や生前サービスを、時代のニーズに合わせて提案し続けています。
特に、みんなで入る「永代供養合葬墓」や、自分の老後や死後の葬儀・納骨などを生前に契約しておく「NPOりすシステム」は、先進的な試みとして各方面より評価を受け、現在、霊園利用者7,000名、りすシステム会員は3,000名を数えるに至っています。
「ひとり死」時代、だれがお骨を運んでくれますか?
これからは、お墓を決めておくだけでは安心できません。自分の死後を子どもに託すのではなく、自分自身で死後のことを決めておくことが、「いまを生きる安心につながります」。
当霊園は「老後~入院~死~葬儀~納骨~供養」など、生前、死後のサポートを、必要に応じ生前契約により受諾するNPO「りすシステム」との連携により、「そのとき」に備えます。また、大がかりな葬儀はしないという人のための「シンプル葬」や、万一のときの「24時間緊急連絡サービス」も完備し、安心のお手伝いを致します。
当霊園のコンセプトは「ニューメモリアルコミュニティ」(現代流の縁作り)
かつての地縁、血縁による相互扶助が崩壊しつつある現在、お墓や寺は現代の縁の中心になるべきと考えています。霊園が、単に人生の終焉の地ではなく、「だれでも、いつでも、お気軽に」集い、亡き人への供養と、学び、体験する場となるよう、運営を続けて参ります。
事業主体 | 高野山真言宗 功徳院 |
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墓地経営許可 | 昭和63年2月15日/62豊池保衛環き128号 |
開園 | 昭和63年 |
所在地 | 〒170-0002 東京都豊島区巣鴨5丁目35‐37 |
墓地面積 | 853.63㎡ |
総区画数 | 700基 |
宗教 | 不問 |
檀家制 | 不採用 |
寺務所 | 9時~17時 (休みはありません) |
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当霊園お参り時間 | 屋外のお墓は24時間お参り可能 |
屋内のお墓は寺務所の時間に準じます |
すがも平和霊苑は功徳院が主体的に運営しております。
功徳院は、1677年(延宝5年)大分県に開創された高野山真言宗の寺院で、現在の住職は松島龍戒です。
檀家制度や寄付など、一見利用者にとって不利と思われる条件は廃し、必要なかただけが、先祖供養や葬儀や戒名を任意で依頼できる、安心の制度を持ちます。
また、最大の特徴は公営霊園のように、他宗派僧侶や、キリスト教、神道の祭祀者による宗教儀礼も認めていることです。
功徳院には住職をはじめ、3名の僧侶が常駐しており、必要に応じ、皆様のご相談に応じ、その中で得られたご要望を、霊園運営にも反映するよう尽力しています。
当院僧侶へのご相談は、霊園利用者さま以外でもお受け致します。事前予約のうえ、お越しください。
延宝5 | 功徳院、大分県、松栄神社の塔頭寺院として開創 |
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明治26 | 功徳院、現在の大分県由布市庄内町龍原443に移転 |
昭和63 | 功徳院東京別院、東京都豊島区巣鴨に落慶 ・すがも平和霊苑同時開設 |
平成元年 | 地縁血縁国籍宗教不問の会員制合葬墓「もやいの碑」建立 |
平成2年 | もやいの碑の運営「もやいの会」設立。初代会長に磯村英一 |
平成5年 | 葬儀等生前契約受諾NPO「りすシステム」発足 |
平成6年 | 合葬墓「飛天塚」建立。もやいが不可のお骨も受け入れ可能に。 |
平成7年 | 移動葬儀車「ARCO号」開発 |
平成8年 | ・「サイバーストーン」インターネット墓参の開発 ・平成の大改修工事。大分本院の大黒天奉納など |
平成9年 | もやいの会 2代会長・神作光一就任 |
平成13年 | 大分本院 平和観世音菩薩像奉納 |
平成18年 | 電脳墓「翔天塚」建立。TV画面で墓参りシステム導入。 |
平成20年 | 功徳院20周年祈念法会 「サイバー飛天」 飛天塚にネット墓参サービス付加 |
平成21年 | りすセンター新木場「死者のホテル」開設、話題に |
平成22年 | 24時間緊急連絡先のスタート |
平成23年 | 一般社団法人 現代仏教音楽研究会発足 |
平成26年 | AIセンター新木場発足。死因特定の寄与につなげる運動 |