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お知らせ

寺報 花だより vol.29 令和6年 花祭り号 より

2024年4月7日掲載

「一陽来復」

三十余年の歳月を要しても実感できないことがある。それを懺悔することの是非さえわからぬまま、寺に身を置いてきた未熟僧の私である。

「あたりまえは、あたりまえなどではない」

今朝も無事に目が覚め、事故に遭うこともなく、家族は決まった時間に帰ってくる――。
なにげない日常の「あたりまえ」が、目に見えない無数の奇跡の結果であると考える人は少ない。

蛇口から水が出る。ここにも水道管にトラブルひとつなかったという奇跡がある。生命の糧が常に与えられていること自体が奇跡なのだ。しかしながら、時に自然の営みはその奇跡を奪い去る。令和六年元旦、能登半島地震によって多くの命と希望が失われた。一寸先は闇と頭では理解しているが、そのあまりに無情な惨状が、自分の死や家族との別れを強く意識させた。この思いの大きさが、ボランティアで現地に入った平成七年の阪神淡路大震災、平成二十三年の東日本大震災の時にも増して大きいと感じるのは、年齢のせいだけでなく、守るべきものが増えたせいか。日々、死別を体験されたかたに接し、諸行無常を説く私自身が、日常の「あたりまえ」に安心を求めすぎていた。一休禅師の句「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」を持戒せねばならない。

「抗がん剤の投与が始まり、髪が抜け始め、ようやく死を実感し、たばこをやめた」

以前見送った男性の言葉。享年三十三。この男性は、余命宣告され入院するまで「まだ大丈夫」と言い続けていた。せめてこの男性の胸中を借りて、「きっと多くの人が、あたりまえを実感できずにいる」と、自身の未熟さの慰めとさせてもらえぬものか――。

 そんな愚考とは無縁に、今年もまた春のお彼岸はやってくる。せめて大切だった人に、ささやかな塔婆供養をささげ、普段思いを向けることの少ないご先祖に感謝し、明日もまた、多くの皆さまの安全無事と被災地能登の早期復興を祈りたい。

功徳院 住職 松島龍戒

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